レトロ感覚近未来 -カップヌードルFREEDOMプロジェクトで感じる大友克洋作品のAKIRAレトロ感


日清食品が、あのAKIRA大友克洋さんと一緒に、カップヌードルの面白いプロモーションをしています。
「FREEDOM PROJECT」 http://freedom-project.jp/


きっと、カップヌードルのブランドパワーは、これでさらにアップなんでしょう。



日清食品 : 製品情報 : CM NOW on AIR http://www.nissinfoods.co.jp/product/cm/show_cm.html?cm_type=B&cm_id=154
によると、

カップヌードルは若者にとって"自由の象徴"であり、その価値は未来においても普遍である」とのコンセプトに共感いただいた大友克洋氏に、企画段階から参加いただき、「真の自由=FREEDOM」をテーマにアニメーションを制作。
カップヌードルと世界が認める日本アニメーションの巨匠大友克洋氏。このコラボレーションによって生まれる壮大な物語は、広告という枠を飛び越え、様々なメディアによって多面的に皆様の目の前に登場します。

なのだそうです。




で、話がちょっと変るんですが、映像を見て感じたことがあるんです。




「なんか、古くさくないか?」




映像は相変わらず緻密ですごいなぁと感じるし、主人公もかっこいいんですが、何だか、すこし古くさく感じてしまったんです。大友克洋=近未来のイメージがあるので、少し自分自身の感覚に違和感を覚えてしまいました。


こんな風に感じてしまった理由を自分なりに考えてみました。そしてこんな結論に至りました。




それは、
「大友作品で出てくるような、超メカメカ時代や超巨大建築時代は、未来永劫おとずれない(ことが、この15年くらいでわかってきた気がする)。だから、FREEDOMで描かれる近未来は、ある意味でレトロ時代の誤解を含んだ、近未来像になっている。したがって、映像を見てレトロ感覚を覚える。」
というものです。



もちろんリアル世界で、新技術はどんどん生まれてくるわけですが、それらの社会への表出の仕方が、大友作品でかかれている表出の仕方(超メカメカ時代)とは、異なってくる、と考えた方が自然な気がするのです。なんというか、もっとこっそり表出化してくるという感覚でしょうか。このあたりの感覚はいまいち整理できてないんですが、たとえばインターネットとか、Web2.0とかっていうニュアンスは、FREEDOMの映像の対局にあるような気がしています。



でも、まぁ単に「私がAKIRAにはまった世代。→おのずと当時(1980年代)のことが連想された。→それをレトロ感と誤解した。」というオチなのかもしれないですけど。